2015年より、心身の不調が限界に達し、しばらく休養に入っていました。
いったん、それに至るまでの「経緯」をくだくだしく書いてみたものの、いざ文章にしてみると死にたいとか死にそうだったとか、そいういう言葉の羅列は非常に安っぽい紋切り型でしかなく、あまり意味のあることにも思えなかったので、淡々と事実だけ、列挙します。
●2015年春頃より、心身の不調が限界に逹し、GW明け頃から、有限会社スタジオ・ポットSDを休職。最低限の緊急対応を除き、原則、すべての業務から離れる
●2015年5月、鬱病を治すための病院を探し、カウンセリングを主体としたクリニックに通院をはじめる
●(この間、月に数度くらいは会社にも顔を出し、残務の整理や打ち合わせも行うこともあった)
●全く病状が改善せず、情報を探しているうちに、自分の症状は「鬱病」とは少し違うのでは? ということに思いいたり、病院を変える
●新しい病院で「双極II型障害」の診断が下る
●2016年11月、SDを退職。
●同12月、精神障害者保健福祉手帳(3級)を取得
主観として語れば、以下のような感じです。
●とにかく何もかもが限界、と感じて、生きていく最低限のことだけを維持して、「仕事」的なものを極限まで放棄。「放棄する」ということにまつわる社会的な手順(各方面への連絡や手当てなど)をすべて放棄
●倦怠感と自責の念(と、なんだかんだで存在するわずかな残務処理)に苦しみつつ、「まあ、とはいえ、しばらく休めば働けるようにもなるだろう」と思いつつ、その実、1年の間、寝てるか太極拳の稽古をしているかでほとんどの時間を過ごす
●休養は数ヶ月程度、と思っていたが、なぜか一向に良くならず、むしろ悪化の一路を辿り、焦りはじめる。結論として、「元に戻ろう」と思っているうちは状況は好転しない、という結論に至り、退職、「障害者」として行政へのもろもろの申請等々、病気と「付き合っていく」ことを決意する
というわけで、みなさま、特に仕事で関係していた方々に対し、この間きちんとした報告をせず、申し訳ない限りです。
本来なら各所に出向いてご挨拶すべきことでありますが、私の場合、抑鬱状態を引き起こす、多くの要因が対人コミュニケーション時にむりやり自分を躁状態に入れてしまい、結果過剰に消耗する、というところにあるようで(倒れる前も、会議の翌日に心労で寝込む、ということがまま、ありました。単なる過労と思い込んでいたのですが、それ以上に、心理的にかなりの負荷になっていたようです。心が麻痺して、そういったことも感じとれないようになっていました)、すべての、そういった「社会人としてやるべき、もろもろの対処」を放棄しておりました。
これは対・クライアントであれ、対・社内であれ、友人・家庭のように親密な関係であれ、いずれもストレス要因になるようで、現在、対人コミュニケーションの総量を最低限にするよう、自制しております)、現時点でも文章の形にするのが精一杯という有様です。何卒ご寛恕いただければと思っております。
病状としては「完治」にはほど遠い状況で、業務として行なっていたIT業については、気力がある時は多少コミットできているものの、現在は開店休業状態、といったところです。
太極拳に日課として打ち込むことだけを、自身の最低ラインとして日々を過ごしています。
まずは今、ここにしっかり集中してから、次のステップを考えたいと思っています。
最後に、何もかも投げ出したことに文句ひとつ言わず、黙って後片付けを引き受けてくれたSDのみなさま、本当にありがとうございました。