「シーフー老師」の謎

私がことさらに言うまでもなく、「カンフー・パンダ」はあまたあるカンフーアクション映画の中でも、少なくとも演出面においては傑作の部類に入るでしょう。
昨今の実写アクション映画が、ワイヤーアクションをわざわざCGで再現とか、早回しの多用とか、鬼のように細かいカット割りとかで、謎の袋小路に陥っているのを尻目に、ゆうゆうと正統派の気持ちいいカンフーアクションをこれでもか、と繰り出してきます。
実写は生身の人間が演じているゆえに、常にある程度の「説得力」を担保しないといけないわけですが、アニメは最初からその点については自由であり、いわゆるカンフー映画の「コミカルな動き」を最大限そのまんま再現すれば即気持ちいいというアドバンテージがあります。「アニメ = animation(いきいきと躍動するさま) = 気持ち(・∀・)イイ!」の方程式が見事にハマった好例、と言えるでしょう。

だがしかし。

作品中で大きなウエイトを占める、主人公に稽古をつけるレッサーパンダの老師の呼称がどうにも気になるのです。

「シーフー老師!」

「シーフー老師」。

字幕等では「シーフー」だけ漢字表記にはなっていないのですが、ちょっとこっち方面に詳しい人が見れば、「シーフー=師父」であることは一目瞭然です。つまり、「師匠先生」。「頭痛が痛い」みたいなことになってるわけです。

かなり真面目に香港映画、中国の文化を研究して作り込んでいるのは随所に感じられ、他の登場人物は「ウーグウェイ(乌龟/Wūguī)導師」「Tai Lung(大龍/Tài lóng」)」みたいに、それなりに正しい中国語(広東語)になっているのに、ここだけ急にインチキ中国語っぽさ全開という。

ま、「師匠先生」であれば、ギリ、洒落で許される範囲なんですが、どうにも納得が行かないのは「師「父」」です。これはいくらなんでもおかしい。おかしすぎる。

中国伝統武術の文脈では、「師父」というのは、正式に拝師の儀式を経て入門を許された弟子が、自分の唯一の師匠のことを呼ぶために使う、かなり「デリケート」な言葉で、使い走りの鳥とか、そこいらの町の人がこぞって「シーフー」と呼び掛けるのは、中拳ヲタ的にはかなりアタマおかしい状況、と言えます。

英語でも「master shifu」となっているので、日本語版だけの問題、というわけでもなさそうです。

ベンガルヤマネコ
ネコちゃんかわいいですなあ

知り合いには「シーフー=石虎/Shí hǔ(ベンガルヤマネコ)」では? と指摘され、非常に腑に落ちたのでもうそれでいいや、という気分でもあったのですが、一応公式には「シーフー老師」はレッサーパンダ、ということになっており、また、綴りもshifuで若干違うしなあ、ということで調査を開始。

その結果、いくつか重要なことが判明しました。

●「シーフー」の表記は「師傅」である(公式パンフにそう書いてあったらしい。「表現としてはおかしい」という自己ツッコミも。

広東語で”師傅”だそうです!
ちゃんとパンフレットにも
「マスター・シーフーは師匠先生になっちゃうんだけど、そこはご愛嬌です」
というフォローもあるそうです

( 年年大吉 カンフーパンダより)

●香港映画とかでは、師匠的な人はなべて「師傅」と呼んでいる模様(「小師傅與大殺星」などのように、作品名になっているケースまで)

なぬ。……じゃあ、「表現としては若干おかしい」けど、「(唯一の)父」ではないからセーフ、というところに落ち着くのかな、と思いましたが、じゃあ「師傅」って何よ、と辞書を引くと、これまた腑に落ちない。

しふ【師傅】
1 太師と太傅。帝王を助ける高官。
2 貴人の子弟を養育し教え導く役の人。もりやく。

(しふ【師傅】の意味 – 国語辞書 – goo辞書より)

……なんじゃそれ。一方、「タクシーの運ちゃんも「師傅」です」などという記述(北京うおう、サオウ日記25)もあり、もはや混沌としてきました。

うむ、師匠に訊こう。

太極拳の師匠である、沈剛先生に問い合わせたところ、「「師傅」なんて言葉は、本来、武術の世界には存在しない。これは共産党による造語です」という衝撃の回答が。

マジか。。

やにわに信じ難かったのですが、ここでGoogle Books Ngram Viewer投入。

Google Ngram Viewer 「師傅・師父」

なんと。確かに、1950年代以降「師傅」の利用が急激に増え、そして1970年代後半から急激に下がっています。中国共産党が「指導」をしまくっていた時期、と、おおむね重なる、と言って良いのではないでしょうか。

そして、何よりも決定的なのがコレ。

Google Ngram Viewer  「師父」

なんと、1965年から1976年にわたって、「師父」という言葉は中国語の書籍に全く登場しません。ただの一冊も、です(あくまでGoogle Booksがスキャンした範囲においては、ですが、この時代、すべての公刊物は国のチェックを通っていたはずですから、「皆無」と断言してほぼ間違いないでしょう)文化大革命は1966〜1977年ですから、文革による言葉狩りで、「師父」のように、身分の上下を表現するような言葉は抹殺された、と断言して良さそうです。
また、これは多分に推測が入りますが、身分の上下を否定しつつ、「貴人(=人民)」を助ける専門家、という理屈のもと、「師傅」という言葉を引っ張り出してきて、共産党風味に再定義をしたのではないか。

そして、文革の終了とともに、「師父」という概念こそ(ほそぼそと)復活したが、そのほとんどは「師傅」として「上書き」されてしまった(香港カンフー映画でさえも)。だから、「師匠先生」という言い方も、現代中国語ネイティブの耳には、もはやそれほど違和感がなくなってしまっている、という。たまたま現地に行っている知り合いに、20代の中国人の若者に「師傅」と「師父」の使い分けを訊いてもらったところ、そもそも「師父」という言葉にはほとんど馴染みがないようでした。うーむ。

まとめると

●「シーフー老師」は、制作者の意図としては「師傅老師」であり、「師匠先生」という、「ちょっとおかしな響き」の言葉
●現代中国人のほとんどが、現在武術の文脈で使われている「師傅」が、実は「師父」であることを理解(記憶)していないゆえの誤解がベースになっている
中国共産党やばい

……ということですかね。

そして、Google Books Ngram Viewerすげえ。

いや、勉強になりました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です