呉式太極拳をやってます01

久しくブログを書くことから遠ざかっていたので、いろいろ作法を忘れてしまいましたが、リハビリのためにもちょっとずつ書いていきます。

これまでのあらすじ

1980年代の終わり頃、高田馬場の芳林堂書店は異様に武道・武術コーナーが充実しており、当時「世界最強」に憧れるボンクラ高校生(脳内妄想を繰り広げるだけで行動は決して起こさない寸止め派)だった私は、足繁く芳林堂書店に通い、「武術(うーしゅう)」をチェック(立ち読み)しては格闘技コーナーの中国拳法本を物色(立ち読み)する、という日々を送っていました。

高校生ならではのAll or nothing的な偏った妄想を日夜繰り広げた結果、

  • どうせやるなら、映画の「少林寺」とか、ジャッキー・チェンがやってるやつみたいな、「いかにも強そうなやつ」ではなく、「本当に強い」武術をやりたい
  • それは(発勁とかいうやつがある)太極拳、それも「本家本元」である、陳式太極拳だ!

という結論に逹しました(たぶん、雑誌「武術(うーしゅう)」の、松田隆智氏の論考なんかを読みかじっていたせいなのではないかと)。

しかし、書店の太極拳コーナーをしげしげと眺めても、それらはあくまで健康体操志向のものばかり。しかも楊式太極拳の入門本が大半を占めており、陳式は極少数派。いわんや「発勁の出し方入門(当然、当時は、「発勁」というのは、なんかスゴいパワーが手から出るんだと思っていた)」みたいな本は皆無です。
太極拳で戦う方法についての本はないものか……と、書店の棚を眺めていると、ある日そのものズバリの、野心的なタイトルの本が目に入りました。

「陳式 太極拳戦闘理論」。
陳式 太極拳戦闘理論

そこには、私の知りたかった、「いわゆるカンフーアクション」ではない、そして力やスピードでもない、陳式太極拳の「格闘技的」な使い方が載っていました(ような気がした)。発勁はもちろん、「纏糸勁」とか「勁力の浸透」、「気の爆発」、点穴、圏捶……といった武術用語が並び、ガン上がりしたものです。

これだこれだ! ということで、小遣いをはたいて即購入。套路も覚えていないのに、一生懸命金剛搗碓の真似ごとをしてみては震脚をバンバンと踏み締めて一人悦に入っておりました。
当時の印刷物の制作技術の限界か、雑に入った飛び飛びの分解写真に、「この間は動きが省略されてるけど、たぶんこっちに体を捻りながら腕は逆に回して跳躍だな……」とエンピツで補助線を書き込んで、一生懸命「独習」していたのですが、詳しく思い出そうとすると、あまりの独り相撲っぷりに、段々ガチで気持ち悪くなってきたのでこの辺にしておきます。

「陳式 太極拳戦闘理論」より。大真面目で書き込んであるのがかなり気持ち悪い
大真面目で書き込んであるのがかなり気持ち悪い

とにかく、この時点で「陳式 = 本当に戦える強い武術」「それ以外 = ただの健康体操(まあ「それ以外」と言っても、楊式くらいしか知らなかったわけですが。楊式の方々ほんとにスミマセン)」という刷り込みがなされてしまったのです。嗚呼。まあ、80年代から90年代初頭にかけての、平均的な中国武術ワナビーの理解はだいたいこんなモンだったと思うので、いろいろ勘弁してほしいところです。

「拳児」連載開始

拳児(1) (少年サンデーコミックス) [Kindle版] wikipediaの「拳児」の項目によれば、1988年から1992年にかけての連載です。たぶん、私はほぼ全部をオンタイムで読んでいたと思います。

「最強 = 八極拳(の発勁)」、というテーゼを、日本のみならず、(主にバーチャファイター2経由で)世界中のボンクラどもにあまねくインストールしたスゴい(そして罪深い)漫画であります。

もちろん、「拳児」以前にも、やはり松田隆智氏が協力、という形で関わっている「男組(週刊少年サンデーにおいて1974〜1979年まで連載) 」が存在するわけですが、男組のテーマは良くも悪くも70年代的な反権力とアウトローの融合であり、一方「拳児」は明確に中国拳法そのものをテーマに据えており、そしてなんといっても3D格闘ゲーム、という新ジャンルに強力な影響を与えた、ということは大きいでしょう。

10年早いんだよ!
10年早いんだよ!

少年漫画には、「北斗の拳」「ドラゴンボール」などの例を引くまでもなく、常に一定の割合で功夫要素が含まれているのですが、「拳児」はそれらとは完全に一線を画した、本格的な武術ビルドゥングス・ロマンで、私(および平均的な中国武術ワナビー)は一気にその世界に引き込まれます。

で、拳児論自体はすでにあちこちでなされているのでここでは割愛しますが、この作品内でも、陳式(陳氏/陳家)太極拳が重要な役割を果たします。ストーリー自体は当然八極拳の修行を軸に、さまざまな武術を学びつつ進む(数ヶ月とかでどんどん極意を掴んでいく完璧超人ぶりですが、オンタイムで読んでいるときは深く考えず感情移入していたので全く気にならず。ここら辺は作画を担当した藤原芳秀の力量によるところでしょう。幼年編から少年編を、キャラの頭身とタッチの変化できちんと表現していて、「六三四の剣」の成長シーンを彷彿とさせる安定の画力です。とてもデビュー2作目とは思えません)のですが、主人公がカベに行き当たったとき、「剛」の八極拳を補う存在として、何度も「柔」の太極拳が出てくるのです(「柔」を強調するあまり、太極拳の発勁についてはあまり語られていません。太極拳は「化勁」がすべてで、「発勁」はあくまでも八極拳のもの、として話は進みます)。

八極拳を軸にしたハナシ、としては、むしろ終盤の心意六合拳修行編をもっとフィーチャーした方が話が面白くなったんじゃないか、という気はしますが、当時の情報流通量の限界か、はたまた連載の進行に注文がついたのか、そこら辺は終盤でサクサクと描かれ、割合あっさり終わってしまいます(……と書いていたら、どうも本当にそうだったらしい)。読後感としては、少年編でちょっと触れ、台湾編の後半で陳式小架(忽雷架?)をやりこみ、陳家溝編で老架(大架)にわざわざ出戻り……と、何度も登場する太極拳のスゴさ、がむしろ印象に残ります。

しかし、今あらためて読み返すと、陳家溝編はクライマックスの張狠子とのリマッチへの流れが結構雑だな。。張狠子は狂犬キャラなのに、「爺さんとバッタリ出会って口論」してもすぐに乱闘にならず、「じゃあ、夜、決闘しよう」ってのがお上品すぎるし、お爺さんを丸めこむくだりでのお婆さんの「作戦」が迂闊すぎるし、その後の拳児の舌先三寸が適当すぎるし。まあそんなこと言ったら、マンガとしての面白さをキープしながら松田先生の武術ばなしを盛り込んでいかなくちゃいけなかった藤原センセイはさぞフラストレーション溜まっただろうなあ。。いや、連載読んでたときはそんなことは気にせず、ガッツリ引き込まれていたんですけどね。

ここら辺の、「太極拳が話の展開上重要なアシストをする現象」は、たぶん空手バカ一代(の陳老師エピソード)からの様式美的なものかもしれませんね。拳児とおおむね同時期の連載であった、「押忍!!空手部」でも、主人公は空手使いなのに、途中から太極拳大活躍だったし。

今にして思えば、「陳式 太極拳戦闘理論」の奥付が「昭和62年(1987年)9月25日重版発行」となっているので、うっかり本のハナシを先にしてしまったのですが、私の行動(妄想)パターンからすると、「拳児」体験が先で、後から棚差しになってた本を漁ったんじゃないかなあ。。

というわけで、太極拳やりたい熱は高まるばかりだったのですが、ネットどころかパソコン通信もまだショボショボだった当時、人脈も行動力もない私はただ妄想を膨らませるだけで、実際にはどこの道場へも行かずに、太極拳への憧れは憧れ、に終わります。

しまった。拳児論はやらないつもりだったのにマンガの話するのが楽しすぎて話が進んでいない。

続きます

「呉式太極拳をやってます01」への2件のフィードバック

  1. この描き方がとても好きです。この日本における第一次中国武術ブームや第二次中国武術ブームの一部分の話しはこのわたくしはほとんど知りません。しかし、わたくしはこれほど大切な話しがないと痛感しております。この日本の中国武術の将来を占う大変にして重要な近代史を是非続けて欲しいです。そして、可能ならばfacebookでオープンにして宣伝したいと存じます。

  2. ありがとうございます。偏りまくりの妄想中拳ヲタクの、狭い狭い話ではありますが、記録しておくのも悪くないな、という心境で虚心に書いております。宣伝は、そもそも公開されているものですから、もちろんどうぞ(宣伝になるのかな〜汗。なるといいんですが)。

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