電車において、ケータイ電話が不愉快な理由

はっきりしているのは次の点。

●電車の中(山手線であれ、新幹線であれ)の携帯電話による会話は不快である

●レストランおよびファーストフード店におけるそれも同等に不快である
●雑踏におけるそれはそれほど不快ではない
●これらのことから、このテーマは「自らの移動による音源からの移動が不可能あるいは大きく制限されているシチュエーション下でのそれは不快である」と抽象化される
●その不快度は、通常の会話<傍若無人な大声の会話<携帯、という不思議な順番になっている(「Alertbox: なぜ携帯電話は迷惑がられるのか(2004年4月12日)」参照)
●で、その理由として「不関与の規範」ということが挙げられている。(この言葉の詳細については省略。ぐぐ様に訊いてください)

依然として残る疑問は以下の点。

●なぜ、通常の会話よりも携帯電話による会話が不快なのか
●なぜ、多くの人は「不関与の規範」というタームを持ち出したところから、問題解決にいたる道を考察しないのか

で、提案。

「ハンズフリー通話で携帯電話を使ってみてはいかがでしょうか」

技術的な問題は詰めてません。あと、正確に言うと自分は普通に話していればよくて、相手の声が周囲にも聞き取れるようにする、というのが最大のポイントなんですな。ハンズフリー機能、と言ってしまった方が説明がラクなもんで。
この機能、最近の超多機能なケータイにはすでに搭載されているような気もしますが、ワタシはエッヂ派なんでわかりません。でも、少なくともどんな携帯でもヘッドセットでは会話できるんだから、相手の音声をスピーカーなどで外に出すことは可能なはず。

これによって周囲の不快度が下がるのだとしたら、ものすごい快挙だと思うんですけど、どうなんでしょう。車内放送でも「乗車中の通話はハンズフリーモードでお願いします」というアナウンスを流し、そうしない輩は白い眼で見られる、という。。

私の予想では、そうまでして会話をしようとする人間はそうそういないんじゃないかと思うんですけどね。少なくとも、ペースメーカーがどうこうするから禁止、なんていう都市伝説スレスレの根拠を振りかざすよりは一万倍健全だと思うんですが。

あとは、この仮説をどうやって証明するか、だな。。

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