プロローグ:「イペーイ、カイス!!」
塔手(右手の甲どうしを合わせ、互いの左手を相手の右肘に添えた姿勢)に構えると、相手はやおら、
「イペーイ、カイス!」
と声を上げる。
ん?「カイス? ハイシ? 还是(「あるいは」の意)? いや、この文脈では使わないよな……。」
途方に暮れた顔の私。私以上に「コイツ大丈夫?」な顔をする相手。
「予備、開始!」って言ってるんです。「ヨーイドン」ですよ。この掛け声で始めるんだ、って教えてくれてるんです、と葛西氏が助け舟。
うーむ、そういえば、以前見せてもらった「大会規定」に書いてあったような。相手にはニュアンスで伝わったようで、「え……そこから説明すんの?」という顔をしている。
塔手から号令でスタート、そして手を合わせる。四つに合わせるところまではなんとかついていけるが、触っただけで、「浮かせられないタイプの「重さ」」であることが分かる(私は60kg弱。経験上、80kgくらい、つまり、体重差20kgちょい、くらいまでは、彼我にそれなりの実力差があれば「浮かせる」ことが可能なのだが……)。
ここは台北某所、鬆柔太極拳の本部道場。時代が時代なので秘密の道場、ということはないが、そこはやはり武術の世界、本来ならば「一見さん」の日本人がフラリと見学に立ち寄れるような場所ではない。
先の世界大会で入賞し、台灣全国大会で重量級での優勝を飾った実力者(いずれも、おそらく日本人では初)である、葛西眞彦氏のアテンドがあってはじめて、ここで稽古する、という幸運に恵まれたのだ。
もう何合めかの組み合い。またもや同じ角度と態勢になる。相手の攻撃がワンパターンなのではない。こちらが、常に同じように「歪んで」いるから、向こうもそのスキにある意味吸い寄せられて、同じパターンになってしまっているのだ。自分も、初心者で元気よくつっかかってくる人とやると、そのようになるのでよく分かる。
つまり、残念ながら、今の自分は圧倒的に「格下」なのである。
なお、相手は高校生。年齢は半分以上ほども違う。体格、そしておそらく太極拳のキャリアも向こうの方が遥かに長い。ましてや毎日のように葛西氏との競技推手スパーに明け暮れている御仁である。葛西氏の「重さ」はすでに確認済みだ。敵うわけがない。
さらに言うと、彼と当たったのは、ここに来て4人目くらい。時計を見る余裕はないが、おそらく小一時間はぶっ通しでガチ推手をしている。
「ただの太極拳好きのオジサン」であるはずの自分は、一体、何故、台灣くんだりでこんなことをしているのか……?
葛西氏との邂逅(2013年〜)
話は3年ほど前に遡る。2013年の夏、ひょんなことから、初めて台湾旅行に行くことになった。単なる観光旅行ではあるものの、「拳児」チルドレンとしては、やはり「台湾 = 武術の宝石箱」のイメージはデカい。ただ行って帰ってくるだけではつまらんな、と、(日本語で見つけられる範囲で)台湾の武術情報を漁っていたところ、八極拳をやっている、という日本人のサイトに行き当たった。興味が湧いてコンタクトを取り、現地の公園でしばらく武術談義をした後、家族で夕飯までご馳走になってしまった。
その頃は、私の太極拳への取り組み・技術・知識いずれも、あまりにも低レベルで、それほど深い話はできず、ま、台湾で頑張っている日本人武術家、というのはなんともスゴいなあ、という、実に「小並感」な感想をもつにとどまった。
時は流れ、私が呉式太極拳を学ぶようになってしばらく経った2015年、葛西氏が来日して、競技推手(と武器術)のセミナーをやる、という情報が入った。葛西氏はそれまでにも、「これから競技推手を極めます」と宣言して、そちら寄りの情報も発信していたし、もとよりこちらは太極拳の修行を始めたばかりの「小僧」であるから、当然興味はあったが、すでに自分には「呉式太極拳」という本流があり、動画などで伺い知れる競技推手なるものにはそれほどの「深さ」を感じとることはできず、まずまず、距離を持ってお付き合いしていこう、というつもりであった。セミナーにも参加はしたものの、自分が学んでいるものとの接点は、正直、まだ、見つけられていなかった。
そして2016年。葛西氏が、日本で「推手大会」を開催する、とのこと。「習得への情熱」に感銘を受けていたこともあり、いずれは台灣の大会への挑戦、ということもボンヤリと考えていなくはなかったが、「大会」「試合に参戦」が急に現実的なものとして立ち現れてきた。しばらく考えたのち、まあ胸を借りるつもりで出場しよう、と、決めた。
ここら辺の逡巡は、以下の文章にまとめて、facebookの、ウチの研究会メンバー専用の非公開グループに投稿した。(※一部改訂)
私はこういうとき、「師匠にナイショで」をやるのが死ぬほどキライなので、一応、こういう筋を通した。……もちろん、流派によってはまったくこういう自由な言論の存在自体、難しいところもあるかと思うので、別段そういうところにいる人を責めるわけではない。ただ、このご時世、どのみち知られてしまうことであれば、最初からオープンにしておけば何の心配も無い、という、単なる方法論である。また、参加の動機の一つに、「伝統武術の生存戦略、如何なるものか?」という問題意識があったりするのだが、この話をしだすとまた鬼のように長くなるので、ここでは省略する。
「推手大会」参加、について (2016年7月5日に投稿)
えーと、わりとひっそりと「チャレンジ」するつもりだったので、こちらでは黙っていたんですが、結果的にだいたいの研究会メンバーがうっすら知っている状態、になってしまい、また、この件、「会則」に抵触するのでは? という印象を与えかねない部分もありますので、きちんと文書で表明しておきます。
まず最初に。
台北在住の葛西眞彦さんという日本人武術家が、非公認ながら、おそらくは日本で初の(台湾ルールによる)推手大会を開催いたします。
太極門は「十年不出門」であります。私はこれを、「一旦門に入った者が、練功を積んで外に出せるまでに育つには、(最低)十年はかかるものである」という、組織の論理(同時に、初学者への戒め)、として捉えています。また当研究会では会則にあるとおり、所属を明らかにして出場することを禁止しています。
これらに抵触するのではないか? つーか、まさか、日高は団体を背負って試合に出るのか? そのように感じられる方もいらっしゃるかもしれませんので、まずその点について。
・私は、団体名を伏せて出場します。主催者の葛西氏とは(そんなに「濃い」わけではありませんが)以前からの知り合いであり、今回はかなり頻繁にコミュニケーションをとっていることもあり、こちらのスタンスは理解いただいています
・「不出門」は、すくなくとも狭義においては、同じ立場の人間同士の「試合」(つまり、太極門の人間同士が手を合わせる、という意味での「交流」)を禁じているものであり、今回のような競技色の強いものに、とりわけ団体名を伏せて参加するかぎりは、基本、抵触しない沈師父とも対話を重ねた上、参加するという決断をしており、「勝手に出る」わけでもない一方、「団体をしょって出る」わけでもない(そもそもそういう文脈とは無関係)、ということを、まず、ご理解いただければと思います。
以下は私個人の考え方です。
武術の稽古、というのはそれ自体が大きな謎を含んでおり、本質的には「できてみないとわからない」「やってみないとわからない」ものである、と感じています。だからこそ、「稽古は単に「盤架為体、盤手為用」であり、その前提としては、四の五の言わずに「慢架一万回」「十年不出門」である」という話に帰結してしまうものなのだ、と。
ただ、その一方で、初心者は、自分に眼力がない状態で、「正しいもの」に辿りつくべく努力しなければならないし、おなじく、懂勁なき段階にもかかわらず「客観的なモノサシ」によって、自分の状態を検証する視点を持たねばならない、というジレンマもある、と感じています。
世の中には私よりも「ロング」な視野を持てる人も多く、こういったジレンマに躊躇することなく、日々、「慢架一万回」を粛々と積み重ねられる方も存在するのですが、私はヘタレなので、ときおり、冷徹な現実を突き付けられないとなかなか稽古にも身が入らない、という弱さがあります。
そういう意味で、「伝統武術の稽古で身につけたものが、現時点でどれほどのものなのか(どれほどのもので「ない」のか)」を検証する場、として、推手大会を利用できるのではないか?(利用できない、という結論に逹するかもしれませんが……) というのが、参加の動機なのであります。
上記のような理由で参加を決意していますので、他の会員のみなさまに参加をうながすようなことは、基本、ありません(止めるようなこともしませんが、その際は、単に「武術も格闘技も結局は同じ」などという短絡的な思考に走らないよう、切にお願い申し上げます……)。
とまあ、そんなこんなで参戦してみたものの、いかんせん未熟である以上に、ルールについておかしな思い込みをしていたこともあり、成績はまったくふるわず、反省の多い内容ではあったが、交流の輪も多少広がり、実に良い経験をさせてもらった。
そして2016年10月。葛西氏は見事、台北で開催された競技推手の世界大会で3位入賞の快挙を果たす。この間、葛西氏のさまざまな取り組みや人となりを見て、「これは人物である」とは思っていたものの、残念ながら「分かりやすい結果」がなかなか出ず、勝手ながら歯痒い思いをしていた私は、我が事のように喜んだ。そうこうしているうちに、またぞろ台灣行きの話が家族で持ち上がり、日程を確認すると、丁度、葛西氏の全国大会(つまり、台灣国内チャンプを決める大会)挑戦が終わった直後くらいになりそうである。これは契機、と、葛西氏の稽古に同行させてもらうべく頼み込み、今回の運びとなった。
以下はその「出稽古」の記録である。三泊四日の旅で、稽古に割けたのはたかだか丸二日、大した中身はないが、日本で、台灣の競技推手に「ちゃんと」触れたことのある人間はそれほどいないと思うので、そういう意味ではそこそこの資料ではあると思う。中国武術というもののとらえどころのなさに悩んでいる方の、ある角度からの検証材料になれば幸いである。
王兆羽武術學院にて
午前中は、大会に参戦された高崎さんを交えて、軽く稽古。昨夜に続き暑苦しい武術談義に花を咲かせまくった後、昼にいったん解散となり、再集合は夕方、というか完全に夜。20時頃に最寄り駅で待ち合わせて、道場へと向かう。台灣行もさすがに三度目なので、ピンインもなんとか読めるようになり、悠悠卡(台灣のSuica的なモノ)とGooglemapさえあれば、ザ・方向音痴の私でもMRTでの市内移動はスムーズなものである。
駅からしばらく歩き、商店街に入る。突然、葛西氏は一見空家のような佇まいの建物の前で立ち止まる。呼び鈴を押すと、なんのやりとりもなく(モニタ付きインターホンのようなモノは無い)鍵が開き、建物の中へ。古い建物のようだし、なにしろ夜である。まだ他の店は明かりをつけている中、その一画だけ真っ暗なのでかなりの迫力がある。氏のあとをついて入ると、中は意外にも綺麗で、きちんと管理が行き届いている気配が伝わってくる。そのまま最上階まで登ると、そこは20畳弱くらいの道場であった。
隅にある木人樁を見れば、ここが何の道場であるかは言うまでもない。ちなみに、完全に屋上ではないのだが、最上階には小さなルーフバルコニーがあり、「屋上の道場」と言えなくもない。……「葉問あるある」はさておき、まだ誰も来ていない道場で、葛西氏は黙々と着替え、掃除を始める。間も無く、生徒たちが集まりはじめる。王老師も登場し、挨拶と手土産を渡す。
めいめい、軽く身体をほぐすと、いきなり推手が始まる。私の相手は葛西氏や王老師が適当に見繕い、次々と当てがわれていく。
まず最初に、同じウエイトくらいのAさん(残念ながら動画なし)。組んだ瞬間、フニャリと受け止められ、相当の手練れであることが伝わってくる。なにせ先の世界大会チャンプ、完全にあしらわれている。こちとらお客さん、ということで派手にぶっ飛ばされたり、「伊達にするは難し」みたいな物騒な雰囲気はまったくないものの、こちらのアタックをはね返すでもなく、引き込み技に持ち込むでもなく、というバランスを保たれてしまっている。
何合かやってみて、あっという間に汗だくに。ときおり、王老師が入って、Aさんの対応のマズいところ、を指導する。普通、指導するのであれば、Aさんと手を合わせるのが普通だと思うのだが、王老師はなんと私と手を合わせてくる。通常、こういう「指導」のシーンでは、「アナタがこう動いてきた時、ワタシはこう動くのだ」的なやり方で説明がなされることが多い。つまり、お互いは実物大のダミー人形のように振る舞うわけだ。当然、スピードやタイミングも実際とは異なってくるし、その際に我々の言う「内勁」などを効かせることはかなり難しい。
で、私は自分なりに、どういうシチュエーションが求められているのか想像して、「賢いダミー人形」として動いたり、逆に仕掛けられるまで動かなかったりしていたのだが、王老師がやろうとしていたのはそうではなく、
●私に(全力で)自由に攻めさせ
●その中で誘導をかけて、ある特定の形に持ち込んむ
●一方、自分はAさんの動きを再現して、その際の適切な対応をとる
ということを、その場でやってみせたのだ(適切なたとえが見つからないが、たとえば作文の授業のたびに短編小説をその場で書き上げたり、音楽の授業のたびに一曲作ってしまうような行為に近いか、と思う)。
途中でその意図に気付き、私はガンガン攻める方向に切り替えてみたのだが、何度やってもキレイにAさんの動き(の理想形)を「再現」させられてしまう。格闘技として考えた場合、動きの制約が比較的多い定歩推手とはいえ、こんな芸当ができる人物がいったいどれくらいいるだろうか。30度近い熱気の中、私はひそかに王老師の技量に肝を冷やしていた。
続いて、筋肉質で私よりかなり小柄なBさん。
組むとやはり当たりが柔らかい。しかし、先の全日本大会参戦のおり、この競技の特性を全く理解せずに「体当たり風にぶちかましてしまい同体」という恥ずかしいパターンをさんざんやらかしてしまっていた反省から、こちらが必要以上に前に出たところを引き込まれないよう、用心しながら様子を伺う。しかし、やはり巧みにこちらの圧力をいなしながら引き込まれ、そこからの同体に終わってしまう。自分より小柄で、このタイプとはあまり当たったことがないので、こちらの引き出しが少ないまま、拙ない攻めを繰り出してしまった。
そして、中背のCさん。
最初こそ引き込みを見せてくるが、与し易し、と見たか、次からは手を合わせると、電光石火で突き放してくる。拙劣な攻めであれば、受け止めるなり、突いてきた腕を掴んで同体に持ち込むなり、なんとでもできる動きであるが、まったくそれができない。何度やってもおなじパターンで突き放される。この、射程距離は短いが、初動が読めないタイプの吹っ飛ばしが、最後までどのタイミングで仕掛けられているのか皆目分からず、完敗であった。
この間、なんどか王老師が割って入って、いろいろ解説を入れてくれる。特にCさんの「吹っ飛ばし」が、どういう理屈であるのか、については実演してみせてくれたが、やはりこれは詠春拳の理論で身体が作り上げられていないと、なかなか出せないタイプの「力」なのであろう、と痛感した。
稽古は3時間弱ほど続き、最後は王老師と生徒さんたちが詠春拳のライトスパー形式の稽古をひと通りやって(当然、参加はしない。というか、できない)、終わった。
葛西氏のウルトラワークアウトに同行
明けて12/23(金)、朝の9時。葛西氏行きつけのジムへ。受付でビジター料金のNT$500を渡すと、(当然台湾語で)ざっくり使い方を説明してくれる。「ゼンゼン分カリマセン」のポーズを取ると(恥)、苦笑いして更衣スペース的な所まで連れていってくれた。ほどなく葛西氏登場。着替えて、まずはエアロバイク。時速20kmを保ち、5分漕ぐ。ふだんから自転車で移動していることもあり、心拍もそれほど上がらず、終える。
ここで葛西氏はナイロン地っぽい、ゴツゴツした感じのベストを着込む。防寒?……のワケはない。コレはアレである。少年マンガで、主人公が冴えない(けどそれなりの)動きを見せて、仲間内のライバルっぽい奴が「アイツ、何チンタラしてんだ」と訝しむと実は(ズチャリ)……の展開でおなじみのアレである。「何kgですか?」と聞くと、「今は20kgですね(微笑)」とのこと(以降のトレーニング、体重80kg超の葛西氏は、100kgを超すヘビー級相当の体重で行なっていることに留意してほしい)。
バトルロープ。綱引きに使うくらいの太い綱を使うエクササイズ。波打たせるだけでキツいが、これをさらに半球のドームに乗って行なう。葛西氏がやると、あたかも両腕の延長のように綱が波打ち、むしろ楽しそうにすら見えるが、自分がやると、そもそも「波」が向こうまで到達しない。全力でやれば届くが、それを均等なペースで続けることは至難である。まあとにかく形だけ真似して終わり。日本のジムでバトルロープ、置いてあるところあるかどうか、はいずれ確認したいところ。両腕で交互にやったり、大きな波を両腕で同時に作ったり、とバリエーションを混ぜつつ、20sec/10rep。
続いて、四股→カーフレイズ→トゥレイズのメドレー。四股は実演を昨日見せてもらったので、おさらいしつつ。この動作、手を抜いてやると、動きの負荷はさほどでもない。ウチの太極拳で言うところの、「断点」を出さないようにやるのが、なかなか難しい。股関節周りが硬いこともあり、足は上がらないわ、断点は出来てしまうわ、で、あまり良い動きはできなかった。このあとのカーフレイズは、以前ちょいと筋トレしていたときの得意メニューだったので淡々と。トゥレイズが地味にキツい。どちらも、踵、爪先をつけず、つまり、休みを入れずにやる。四股30rep、カーフ100rep、トゥ100rep、これを3set。
壁押し。これまた昨日、ざっとした解説は受けたのだが、未だに正解が分からない。葛西氏の言う、「頂出来」を作るための、重要なトレーニングのようなのだが、押せばいいのか、押さないのがいいのか。とりあえずフォームの段階であれこれと自分の弱点が露呈し、密かに汗をかく。高い位置と、低い位置の2種類、それぞれ10rep。
ケトルベルスイング&アブローラー。葛西氏は24kgのケトルベルを涼しい顔でスイングしていたが、私は可愛く12kgから。ちょっと記憶が曖昧だが、30secずつを10rep、だったはず。
そして謎のトレーニング。「コレはヒ★ミ★ツ」とのことなんで、こんなところでご勘弁。
と、ここでようやくトレーニング終了。台灣の天候(年末なのに30度近い日も。さすがに珍しいらしい)もあったが、しこたま、へばる。葛西氏曰く、「メダリストクラスの負荷」を想定して、メニューを組んでいる、とのこと。葛西氏もfacebook等で何度も言及しているように、ウエイトトレーニングを忌避する「武術家」が多いが、「要は使いよう」、であることを痛感した。一見、やみくもに体を鍛えまくっているようであるが、葛西氏が行なっている「筋トレ」メニューのほとんどは、
・自重またはフリーウエイトによるトレーニング
・体幹を中心とした、複数の筋肉群の連動
である。いわゆるボディビルダーのやっている、「筋肉をバルクアップするためだけのトレーニング」の、ほぼ逆、といっていいだろう。
本来、中国武術の練功、の基本は套路の反復にある。同じ套路を(正しく)何万回も練功した結果、得られる功夫は相当のものであるだろうし、それは何十年にもわたるさまざまな練功の中で、いずれ達成されるのであるが、これらの「筋トレ」は、套路の中の、とりわけ(私の流派で言うところの)「発勁」に分類される動きに見られる、「伸びゆく動き」に非常に類似しており、それらを取り出して反復することには一定の意味がある、と感じた。
……と、何か葛西氏のワークアウトを総括したかのような話になっているが、後で聞くと、「あの日の稽古は、説明しながらやったこともあって、ふだんやってる量の3割くらい。で、「超回復」の時間がとれるように、週を通して「ざっくりとした部位ごとの筋力増大の日」「持久力増大の日」が交互来るようにメニュー組んでる」とのこと。まあさすがにアレで全て、とは思っていなかったが、想定を遥かに超えたレベルの違いに密かにズッコけるのであった。
鬆柔太極拳本部道場にて
さて、ある意味最大のヤマである、「鬆柔太極拳(むりやり日本語読みすると「しょうじゅうたいきょくけん」、か)の本部道場である。21時半、というどえらい遅い時間の集合。建物に入るとき、葛西氏の奥様が唇に指をあて、「静かに」のジェスチャー。昨日もたいがい怪しい雰囲気だったが(←失礼)、今度はついに秘密アジト潜入か! と思いきや、ここは子どもたちの学習塾を兼ねており、子どもたちが授業をしている側をすり抜けて最上階の道場を目指すため、勉強の邪魔しないでね、ということなのであった。
道場の責任者的な人に挨拶。続いて呉老師が現れ、手土産お渡ししてご挨拶。着替えて、アップなどしていると、すぐに「対戦相手」が現われる。葛西氏は大会前からの連日の緊張がようやく解け、抑えていた疲労が出たのか、扁桃腺を腫らして(それでもアテンドには駆け付けてくださった)おり、今回は撮影係に専念。
まずAさん。柔軟だし、引き込みもうまいが、まずまず、なんとかあしらえる。
続いてBさん。ひょろりと背が高いがパワーは半端なく、連日の疲れが出ていたこともあり、ここで無理な動きで抵抗してしまい、完全に右肩の筋を伸ばしてしまう。出稽古に赴く前に、「調子乗って動きまくって身体痛めてしまい、以降の練習がワヤクチャになる」のだけは避けよう、と固く誓っていたのだが、これ以降はボロボロに。とはいえ、「筋痛めたのでノンビリやります」とも(語学力的にも)言えず、ポーカーフェイスで次に備える。
と、ここで、呉老師登場。手を合わせて3秒くらいで重心を取られ、思わず笑ってしまう。私があまりにも高架でやっていること、また、低くなったときの安定が異常によろしくないことをいち早く見抜き、きちんと相手についていって動くこと、また、低くなったときにも骨盤の水平を保つ重要さ、についてひとくさりレクチャーいただく。だがしかし、
・もともと慣れてない動き
・股関節硬い
・すでに全身ボロボロ
の三重苦で、言われていることがほとんど反映できない。Bさんとの手合わせは続行されるが、明らかに自分の動きが悪くなっている。
すっかり自信喪失になったところで、次々と刺客(笑)は現われる。Cさん。
ちなみに、体格の多少の差はあれど、みな丸顔メガネの穏やかな風貌で、疲労と負傷(笑)で意識が飛びかけていた私は、ここら辺から脳内に合法的な何かが過剰に分泌されたようで、この「徐々に強くなっていく量産型のび太君が次々と襲いかかってくる格ゲー(激ムズ)」がちょっと楽しくなりはじめる。ふだんやらないようなハードな推手を一時間以上、ほぼぶっ通しでやっているのだが、疲労をまったく感じないまま動き続ける(ただし現実には全然動けていない)。
Bさんがヒョロリとした感じなのに激強かったこともあり、身体の厚みがハンパないCさんにゲンナリするが、意外と手が合って、まあまあの手応え。
合間に、基本功的な運動を皆が始める。見よう見まねでやるが、途中から「オマエはそういうのいいからどんどん推手やれ」とばかりに新たな刺客が。休めない……。だがこのラフな感じが有り難い。日本の道場なら、「オマエもちゃんとウチの練習をやれ」的な空気が支配的になると思うし、それはそれで「郷に入りては」的なことで、全然アリだと思うのだが、「オマエは出稽古に来てるんだから推手やれ」と割り切るのが台灣流、なのか。
そしてついに、冒頭で触れた、「ラスボス高校生」のDさん登場である。
「予備、開始(イペーイ、カイス)!」。
そもそもデカいし(対峙したときはそうとも見えなかったのだが、実は100kg近くあるらしい。台灣ののび太君は概して凶猛である)、手を合わせた段階ですでに私より強いのは感じとれるのだが、私はすでにCさんあたりでおそらく燃料が完全に尽きており、大体のアタックで簡単に「先手」を取られてしまう。アドレナリンが出ているので、筋を伸ばしてしまった痛みはそれほど無いのだが、さすがに身体は正直で、必要以上に粘れず、押しても崩され、引いても崩され、存分に負ける。後半、それでもなんとか活路を開こうと、腕取りを試みたり、前々日に教わった、腕取りからの展開を仕掛けてみたり、と、いろいろ足掻いてみるが、どれもうまくハマらず、地力の差を痛感する。それでも、彼の練習台には丁度いい、と判断されたのか、結構な数、手を合わせる。
とここで、もう一度、呉先生のレクチャー。葛西氏の奥さんが同時通訳してくれる。すでにフラフラだが、断片的な情報を必死に追う。「そんなに足を(前後に)開いちゃダメだ」……ん? そんなワケないだろう。なんせ私の学んでいる太極拳は、小架(前後の足幅を狭くとる立ち方)で知られる上に、私は自他共に認める「套路を高い状態のままやる奴」だ。……だがしかし、自分足元を見ると、なんと、ふだんの稽古の倍ほども足を開いている。コレではダメだ。
相手が低く来るのだから、それに合わせる、などという発想はしょせん、付け焼刃だ。向こうはその方法論で何年も練功しているのだ。であればこちらも、3年間やってきたフォームで勝負すべきだ。ということで通常に近い高さに構えなおす。たったこれだけのことだが、相手は格段にやりにくくなったようだ。一矢報いる、にはほど遠いが、窮地においても、自らを失なわずに戦うべし、ということを、身をもって学んだ。
と、ここで時間。高校生たちはササーっと潮が引くように消え、大学生たちが活歩推手の練習を始める。疲労困憊であったこともあり、そちらは見守るだけに終わったが、今にして思えば、どうせ恥のかきついで、無理を言って混ぜてもらい、タンコブのひとつでもこさえておけば良かった、と思わなくもない(ケガした可能性高いが)。
ちなみにこの日の参加者はほぼ全員高校生、大学生ばかり。台灣はさすが、若年層の競技人口層が厚い……と思ったら、全国大会直後、かつ、学生の大会が近かったせいでこういう面子になったようで、ふだんはちゃんと(?)社会人も稽古している、とのことだった。まあ、そりゃそうだ。
エピローグ:「『納得』は全てに優先するぜッ!!」
こうして、私の出稽古はひとまず完了した。終わってみれば反省ばかりであるし、なによりも現地の言葉でコミュニケーションとれなかったのが何とも勿体なかった。とはいえ、これで台灣の競技推手、に限っていえば、葛西氏を含め、「最高峰」の人間数名+αと手を合わせることができたわけで、これは文句無く大収穫、と言えるだろう。上でも書いたように、競技推手における自分の目的は、あくまでも呉式太極拳を修める上での「容赦なき測定基準」としての活用、である。彼らとの攻防を、自分の流派で培った技量で制するための設計図、は、おぼろげながら具体的な細部が見えはじめている。このレベルに「納得」することができたら、おそらくは次の段階が見えてくるのだろう。道程ははるかに長いが、重要な端緒をいくつも提示してくださった葛西氏には、ただただ感謝、である。